『親友』という言葉について

どうもmochaと申します。よろしくお願いします。

 

タイトルの通りなのですが個人的には『親友』という言葉に対して抵抗があります。世間から見て自分と親友であろう関係性の人間がいないわけではなく、なんとなく自分が「こいつは親友だからさ」と言葉で発することに違和感を感じるのです。

 

『親友』という言葉の定義について

調べたところ親友という言葉の定義は以下のようです。

  • 互いに心を許し合っている友。特に親しい友。

そして親友であるならば、自分が相手にどう思われるかを考えずに、素直に発言できたり行動できたりするそうです。

 

そんなことなくねぇか??

 

自分の中には『知り合い』と『友人』の定義しかはっきりしてない

そもそも論なのですが同一人物でもなければお互い異なる生活をしている人間なのですから相手にどう思われるか、相手を気遣わず発言できるなんてありえないと思ってます。たとえそれが親しい間柄であっても。

一方で『知り合い』と『友人』の区別は自分の中の言葉として腑に落ちていて

知り合い

  • 話すことができるし嫌いではない
  • 過去の組織や環境により人生ですれ違っただけ人
  • いれば話すけどその人に会いに行ったり予定を組んだりするバイタリティはない人
  • プライベートには興味のない人

友人

  • たまにあって話をしたくなる人
  • 何かを一緒にやりたい人
  • そこまで気を遣わず話せる人
  • 何か困っていれば助けたいし、助けてほしい人

名前を知っていて話す人間についての分類は親兄弟交際相手を除けばこの二種です。

なんでそんなことを考えたのか

幸いなことですが俗にいう『親友』と呼ばれる友人は数人おりまして。別にその人たちを親友といってもいいんでしょうけどなんかわざわざ友人と分ける必要があるのかなぁと。。親友だからすべて話せたり話せなかったり、逆も然りですがそんなことないと思いまして。

なんか友人関係にそこまでラベリングしなくてもいいと思ってしまうんですよね。友人である時点で信頼しているわけだし区分けする必要なくない?逆に無条件に信頼できない人間は全員知り合いです。

 

人生ですれ違っただけの人間なので関係性が切れてもまぁしゃーないなーくらいに思ってます。学校や会社の人間なんて学力が合うだけで同じ場所にいるだけですから全員と友人なんてありえないわけです。

 

過ごす時間=友人ではない

一緒に過ごした時間が長ければ友人になるかというとそんなこともなく。結局気が合うとか考え方がわかるとか単純に面白いとかそんなもんなんですよね。

 

新成人や受験、これからは新卒の就職など変化の時期ですが深いことを考えず友人を大切に。

 

今日書きたいのはそんなところです。

八戸は海外だと思う

どうもmochaと申します。

 

特に八戸の方の悪口を言うわけではないのですが、自分の人生のなかで印象深かった出来事について書きたいと思います。なお自分は海外に行ったことがありません。

 

八戸フェリーターミナルへ

今から考えるとはるか古の頃なのですが、当時のお仕事で八戸フェリーターミナルから苫小牧まで行く機会がありました。八戸フェリーターミナルへ行く間にラーメンショップがあったのを覚えています。

八戸フェリーターミナルのチケット売り場にいくとそこは東北訛りがキツイおじさまばかりだったんですね。

 

日本語が聞こえないことに対する不安

そうなんです。ここは日本のはずでアナウンスも日本語で、皆さん日本人です。しかし聞こえてくる言葉は到底頭で処理できない言語でしかありません。そしてこの周りが日本語で話しているはずなのに何一つ聞き取れずただ耳に情報が入ってくるという上苦境とても困惑してしまいました。

 

理解できない音声がある環境はつらい

そんなわけで海外に行ったらおそらくこんな感じなのかなぁと思ったわけです。何なら英語であればまだ何となく理解できる部分もありそうですが若干のトラウマ感もあり外行くのはこわいなぁという話です。

 

今日書きたいのはそんなところです。

男女の友情について思うこと

どうもmochaと申します。

既に打線が組めるくらい波乱万丈の幕開けの2024年ですが、コツコツ続けていこうと思います。

 

年末年始ということもありいろいろな人と会ってきたのですが、気持ちの供養も兼ねて備忘録を書いていこうと思います。

 

灰色の高校時代

当方イケメンでもなければ学業優秀な学生でもなく色恋沙汰にはほぼ無縁な高校生活をしておりました。部活、勉強と友人関係も良好と今考えればこれほど充実していることもないのですが、仲間内のモテない仲間で

『灰色の高校生活。。。』

と自分たちを揶揄していましたとさ。

そんなわけで高校時代に女友達もいない状況でしたが、何となく話していて面白い女の子がいました。当時たまに話して楽しいしお近づきになりたいんだけど、連絡先も交換せずに卒業を迎え、心残りもあったことを覚えています。

 

悪ノリからの交流開始

大学からは地元を離れておりましたが、年に数回は帰省することもあり高校の友達と遊ぶことになりました。大学に行けば色恋沙汰もABCDも突破した話もするわけですから当然彼女がいるいないの話になります。

飲んでいる中で彼女が欲しいと呟くと友人が

『お前○○と仲良かったんだから連絡とればいいじゃん!電話しようぜ!!』

というキラーパスを投げてきました。ラッキーと思った反面、内心相手に覚えられてなかったらどうしたもんかねと思いましたが乗りかかった船ですしやってしまえ!です。

 

年に数度は会う中に

キラーパスのおかげもあり、連絡も取れ何度か飲んだり一緒に遊んだりと友好的な仲になってきました。若かれしころの直感はすごいものでやっぱり気が合うんですよね。そして何となくこれ彼氏彼女だったらめっちゃ楽しくね?とおぼろげな恋心のようなものを感じるようになりました。

 

そして数年後

社会人になって数年たち、恋愛には発展しませんでしたが交流は続き、お互い別の相手と結婚する予定、している状態になりました。当時の、何となくの恋心がどうだったのかなんて知る由もありませんでしたが別の友人と会った際に

『実は○○もmochaのこと、いいかもって思ってた時期あったらしいで』

と伝えられ少しざわざわ、もやもやとしていました。

そして最近、当人と話す気機会があり、お互い直接的な表現は避けましたが『いいと思っていた時期もあったんだよねー』なんて言い合って、タイミングが違えば付き合っていた世界線も存在していたことを知りました。定期的に会ってて、今更何か発展することを望んでいたわけではありませんが気持ちに整理はついたように感じてます。

 

タイトルのことについて

昔から話しつくされてますし、もはや自分が語ることなんてありませんが、職場や学校などの環境に縛られない状況の場合だと、男女である時点で生理的にOKな人としか交友は持たないと思うんですよね。だから純度100%のきれいな友情なんてものは存在しないし、何かしらのタイミングが違えば関係性が違っていた人たちが大半なんじゃないかなと思ってます。

だから今回のケースみたいに抱いていた気持ちが整理できたのは幸いなことで。今後も長い付き合いになりそうな気がしてます。

 

今日書きたいのはそんなところです。

転職回数が多くても人生は終わらないって話

どうもmochaと申します。

 

前回の転職エピソード②では、自分がよわよわエンジニアであることに気づき自信喪失したところまで書きましたね。そこから現在に至るまでのことをぼかしながら書いていこうと思います。

 

自身喪失から自分探しの旅へ

といっても物理的に全国を旅したというものではないですが。正直それまでのIT業界での積み上げがぶっ壊れてすべてにおいて自信がなくなっていたんですね。

  • 自分には何ができるのか
  • これまでの積み上げは無駄だったのか
  • これからどうやって仕事をしていけばいいのか
  • こんな人間ほかの仕事で通用しないのでは

とはいえ何とか立ち上がらないといけないわけですから、モノは試しと「キャリアコーチング」を受けてみました。

キャリアコーチングの体験記は細かく書くつもりはありませんが、今考えるとメンタルカウンセリング的な意味合いでとても良かったのではないかなと思ってます。

メンタルの回復から転職へ

何とか立ち直り自分のスキルを生かして零細企業のIT担当者として仕事に就くことができました。ここは本当にスタートアップのような場所でいろいろなことを経験できました。全社的なシステムの入れ替えから、根本的な運用フローの作成、PCの規格の標準化、ライセンス違反状態の改善....etc

もともとIT担当者が存在していなかったこともあり、会社からの期待値も特になくのびのびと様々挑戦できました。

会社への不信感からへの転職

そしてその会社も2年も務めずに退職となります。色々ありましがこれ以上は直近の職歴のため濁します。零細企業は零細企業なりの理由があるなぁという実感とともに退職に至りました。

そして現在に至る

新卒からこれで通算5社目の会社となります。自分もまさかこんなに転職回数がかさむとは思っていなかったですし、転職なんて3回以上したらもう人生積むなぁと思ってましたが何とかなってます。

 

ともあれ転職活動には健全なメンタルが必須ですのでこんな人間もいるんだなぁくらいな感じで読んでくれれば幸いです。

2023年の供養として書きたかったことですので間に合ってよかったです。

 

今日書きたいのはそんなところです。

 

LOST IN TIME / 30 について

どうもmochaです。

 

今年は自分自身30歳の節目年齢でもありました。そんな中で心に刺さった曲を紹介したいと思います。

 

LOST IN TIME - 30

youtu.be

LOST IN TIMEというバンドの曲です。

普段歌詞とか正直あまり聞かないというか、頭に入る聴き方をしていないんですがこの曲は最初であった時からすっと馴染んでとても好きな曲になりました。

歌詞の解釈は人それぞれですが、なんというか30歳という年齢に差し掛かって考える

  • 過去の自分への羨ましさ
  • 昔考えていた自分と、現在の自分のギャップ
  • 将来への不安
  • 積み重ねてきたものが正しかったのか、無駄じゃなかったのか

そんな不安がありながらも、自分を奮い立たせて前向きにさせてくれるとても好きな曲です。一節の

いつか見た夢の 続きがここなんだよと

自分を騙しながらでも

未来へと切り開かなくちゃ

時々心が 壊れそうになるけれど

大丈夫だよ

足跡は嘘をつかない

 

もう過去は変えられないし自分が辿ってきた道は正しい、とだましだまし未来に進んでいくしかないんですよね。もしそれがもともと望んでいたものでなくても、やってきたことだけは必ず積みあがっているから前向きに行こうぜ!!って感じだと思ってます。

2024年も前向きに。充実した生活を送っていきたいですね。

 

今日書きたいのはそんな感じです。

手厚い接客が苦手という話

どうもmochaと申します。

 

タイトルに書いた通りお客様に寄り添った接客をされるというのがすこぶる苦手です。

そんなことを先日実感した話があるので書いてみようと思います。

 

気合を入れて買い物に行った

先日クリスマスがありましたね。先日別の記事で書いた通り自分はサプライズプレゼントというものが苦手で苦手でしょうがありません。

そのため5000円という予算のなかでプレゼント交換をするということで何とかサプライズ好きな彼女との折り合いをつけているわけです。

そこで本年候補に挙がっていたものは

  • Aesopのハンドソープ
  • マグカップやタンブラー
  • お香&お香立て
  • フライパン
  • ハンドブレンダー

色々好みやクリスマスっぽさを考え、Aesopが無難でいいのではと考え、勇み足で百貨店のAesopに向かったわけです。

 

顧客に寄り添った接客

Aesopの店舗に行ったことがあるお方は既にご存じかもしれませんが、Aesopはとにかく顧客に寄り添った接客をモットーにしているようです。

『イソップはお客様ひとりひとりに沿ったライフスタイルの提案をしていくという考え方を太い軸として持っている』

https://makescareer.gaiasign.co.jp/interview-aesop/

というわけで勇み足でAesopに向かうと

根掘り葉掘り何を持っているのか、どんな仕事なのか....etc

ということを聞かれ結果、ハンドクリームを勧められ、『既に質問攻め&こんなに工数を使わせて何も買わないのは....』という罪悪感により勧められるまま購入をしました。

結果そのプレゼントは

なんか違うな!?

となり渡せなかったのですが。

過去の歴史の振り返り

よくよくこれまでの自分の歴史を考えても接客が苦手だなぁと思い当たる節がありました。

洋服屋で店員さんにツカツカ近づかれた瞬間に逃げ出しますし、

美容室でも話したくなく

「こんな感じでどうですかね~~?」

「あ、いっすね、OKです。」

という回答しかできないNPCに成り下がります。

 

根本的に他人と話すことが苦手という一面もあるのですが、

ちょっとそこまで気合入れて考えてないから...いい感じに...もうほっといて!!!

のような思いが強いのかもしれません。

 

もちろん善意&お店のマニュアル&お給料のためでやっていることは理解しているのです。こういったお店に入るときは、自分の中の考えを確固たるものに武装していくか、すべてを委ねるくらいの意思が必要なのかもしれません。

 

今日書きたいのはそんなところです。

浪費するための節約をしていたという話

どうもmochaと申します。よろしくお願いします。

 

年の瀬ということで不要なものの整理、断捨離を行っていました。

その中でタイトルのようなことを感じたので備忘録がてら。

 

皆さんお酒は飲みますか

自分はお酒を飲みます。それはもう飲みます。。。

こればっかりは浪費と知ってながらも飲まないとやってられないというある種の自傷です。まぁ本題ではないのですが。

そんなわけで、今回不用品として捨てるのを決めたのが炭酸メーカーでした。

 

炭酸メーカーの功罪

炭酸メーカーはご存じでしょうか。数年前に市民権を得ましたね。いいところとしては

  • ペットボトルゴミが出ない
  • 数年使えば炭酸水を買うより安い
  • おしゃれ!
  • ハイボール、サワーが飲み放題!!
  • 夏場はコーラ、ジンジャーエール、レモネード!!!

というわけですが2020年に購入し、計3年使用しましたが手放すことにしました。というのもお酒を飲むスタイルと考え方に変化がありました。

自分のパートナーはお酒を飲まないのですが

『本当はビールが好きなのに我慢して何となくいい感じのものを飲むの無駄じゃない?

『ウィスキーも飲めるんだったらロックやストレートで楽しんだら趣味としても楽しめない?

のようなことを言われハッとしました。

 

結局代替品は代替品にしかなりえない

ハイボールもおいしいんです。サワーもおいしいんです。安酒を炭酸で割れば飲めるし酔っぱらってハッピーになれるわけです。翌日はもれなくアンデッド化しますが。

しかし自分は元来ビール党です。

 

結局自分にとっては何となく炭酸でしゅわっとできる偽物でしかないわけです。

だったらビール飲みたいときはビール買って、普段はおいしいウィスキー(2,000円以下)で楽しんだほうが満足感が高いことに気づきました。

そして炭酸メーカーは自分にとってごまかしの節約道具でしかなく、満足感もそこまで高くなく、ただの浪費だったと感じました。3年利用したので元をとった?のかもしれませんが正直毎日ハイボール飲まなくても

  • 普段はロックで様々なウィスキーを楽しんで
  • 飲みたくなったらビールを買って
  • ワインなんてのもたまに飲んでみて

こうしたほうが健全で趣味として楽しめるように思えるようになりました。

 

浪費のための節約について

結局自分にとっては炭酸メーカーは『浪費のための節約』だったんだなぁと感じました。炭酸水のコスパはいいですが、結果毎日満足のいかないごまかしのものに対してお金をかけるより

  • 今日はやってらんないからビール!
  • 自分に酔いたいからワイン!
  • デイリーで落ち着きたいからウィスキー!
  • おでんだし日本酒?焼酎?

とした今の生活のほうが満足度が高いです。

 

お酒をデイリーで飲まないのが一番いいのは分かりますがまぁそこはご愛敬ということで。

 

本日はそんなところで。